【宮城の石屋が解説】そもそもお墓とは?お墓の歴史と移り変わり

こんにちは。宮城県利府町在住の石屋の米田@randyyoneda)です。

近年、お墓との関わり方などが変わってきていると感じています。

お墓参りは命日やお盆、お彼岸にする方も多いと思いますが、
そもそもお墓がなぜ建てられるようになり、
いつからこの慣習が生まれたでしょうか?

今回は、現在のお墓事情や
お墓の歴史・慣習などについてご紹介します。

宮城の石屋が解説!お墓とは?

お墓は、正式名称を墳墓と言い、
遺骨を埋蔵する場所を指しています。

役割や意味
◇家や家の継続性のシンボル、家としての弔いのシンボル
◇先祖を祀り、感謝する場
◇故人との繋がりの場・繋がりの媒介ツール


お墓は故人への追憶とともに、
生きている私たちの心の安らぎの場所でもあるんですね。

お墓の始まり

お墓の始まりを振り返ると、縄文時代までさかのぼります。

▼縄文時代
ご遺体を素掘りの穴へ、
体を曲げるようにして埋めていたそうです。

▼弥生時代
この時代になるとご遺体を
木棺や石棺などへ納めるようになります。

▼古墳時代
その名のとおり大規模な古墳がお墓になります。
古墳は権力の象徴的な意味合いがありました。

朝廷などの権力者だけが埋葬されていたお墓であり、
一般庶民の埋葬は、縄文時代とそれほど変化がなかったようです。

▼飛鳥時代
大化の改新以降に出された薄葬令(はくそうれい)によって、
お墓を小さくするようになります。

この頃、一般庶民はまだお墓を持つことができず、
決められた場所への埋葬しかできなかったようです。

▼平安時代
宗教の仏教が伝わり、一部の特権階級の間では
火葬が行われるようになりました。

 

平安時代に入り、ようやく火葬が行われるようになったんですね。
では、現代のようなお墓の形になったのは
いつ頃からなのでしょうか。

 

▼明治時代
個人で葬儀を行うことが禁止され、
神主や僧侶による神葬祭が行われ始めます。

このとき、同時に火葬が禁止されますが、
火葬の禁止はこの後すぐに撤回されます。

そして、公共の墓地として青山墓地や天王寺墓地が造られました。
これらの公共の墓地が、のちの霊園の原型となります。

その後、宗教にとらわれない初めての霊園として多磨霊園が造られ、
以降、日本全国に霊園が造営されていきました。

一度は火葬が禁止された歴史があったんですね。

今や日本は世界的に見ても火葬先進国

現在の日本における火葬率は99.9%。
ほぼ全ての方が火葬されています。

国土が狭い日本においては、
墓地の確保は難しいですよね。
近年はなおさらです。

火葬は少ない土地への埋葬に適しており、
衛生面でも安心できる方法なんです。

また、日本で火葬が行われるようになったのは、
仏教の伝来に関係するといわれています。

それは、釈迦が火葬されたことを受け継ぎ、
奈良の元興寺の開祖が自らを火葬したというもので、
仏教では火葬が尊いとされていました。

そういった歴史の中で、
日本は火葬を強く推し進めてきたと考えられます。

現代のお墓事情

近年、お墓の形態の多様化や墓石のデザイン性の向上など、
お墓事情が大きく変化しています。

特に家それぞれのしきたりではなく、
お墓を購入する本人や遺族の考え方に合った
お墓が選ばれる傾向
にあります。

例えば、通常のお墓ではなく、
費用を抑えるためにマンションタイプの
お墓を選ぶ遺族もいます。

また、故人がお酒好きな方であれば
酒瓶を模した墓石にしたり、
ツーリングが好きだった方であれば
バイクを模した墓石を選ぶという遺族もいます。

このように遺族の考え方や、
予算事情になどに応えた
お墓が増えてきていますよ。

どのような形態になってもでも、
ご先祖様を敬う気持ちや故人を偲ぶ気持ちは
今も昔も変わらないようですね。

まとめ

お墓を建てて手を合わせることで、
故人やご先祖様を偲ぶ気持ちは今も昔も変わりませんね。

しかし、冒頭に延べたように時代の流れに
合わせてお墓の形態は変化してきました。

近年は特にですが、遺族の思いに
寄り添ったお墓のデザインや弔い方を
選択できるようになりました。

だからこそ、故人やご先祖様への想い、
「こういうお墓を建ててあげたい」という
気持ちを大切にしていきたいですね。

質問、感想、相談など、
何でもお気軽にご連絡ください。





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